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銀(シルバー)について

銀(シルバー)の歴史

紀元前4000年頃
銀が発見されたのはアナトリア半島カッパドキア(現トルコ中部高原)で粒状の銀が造られたと言われています。
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紀元前3000年頃
現在知られている最古の銀製の宝飾品は古代シュメール人ウル文化(現イラク南部)の埋葬遺跡で発見されています。
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紀元前2500年頃
鉛と銀を含んだ鉱石からによって銀を精錬した残渣※1灰吹法が現代のアルメニアで発見されていています。

※1灰吹法(cupellation process)
金や銀を鉱石などからいったん鉛に溶け込ませ、さらにそこから金や銀を抽出する方法。 金や銀は鉱石に含まれる量が少ないので、金や銀等を含んだ鉱石と鉛を混合して加熱し、空気を送り込むと鉛の中に金や銀等の金属が溶け込んだ合金(貴鉛)ができます。 その貴鉛を灰が入っている皿(灰吹皿)の灰の上に置き、炉(灰吹炉)に入れて加熱すると、鉛は酸化して、酸化鉛となって、融けて灰の中に染み込む(酸化鉛の溶融したものは表面張力が小さく灰に対するぬれ性がよい)ので、貴鉛に含まれていた金や銀等が酸化されずにそのまま灰の上に残ることから、金や銀等の不純物の少ない金属が得られる製錬法のことです。

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紀元前1000年頃
南部および北アメリカでは、高度な銀加工技術を使用していました。
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紀元前900年頃
ギリシャアテネ近くのラリウム鉱山は、この時から数えて約1000年もの間、銀を生産する有数の鉱山でした。 今では沢山の銀山が確認されていますが、これが最初の銀山でした。
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紀元前200年頃
アジアでは朝鮮半島への中国からの移民が、彼らに銀製造技術を伝えました。 そしてその後、朝鮮半島から日本へ銀が広がりました。ですが日本ではあまり銀の普及が進みませんでした。 その頃ローマ人は貨幣や家庭で様々な用途に銀を使用していました。
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紀元前2世紀頃
ローマ人がシルバーの熱狂的な収集を始め、古代ギリシャ 時代にギリシャ本土や各地の植民地でつくられた什器類の多くは、ローマ人の為の物でした。
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1世紀頃
現在のインドに起こっていたインダス文明では、飲み物を注ぐ為の容器として初めて銀を使いました。
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3世紀頃
ロンドンでローマ帝国の貨幣が鋳造されます。
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6世紀頃
銀製造技術は中国において非常に重要な地位を占めていました。 また中国では銀製品は一貫して非常に貴重な品物としてあり続けました。
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760年頃
イギリスではのちの鋳貨の基礎となった銀ペニーが連続的に使用されるようになりました。
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9世紀頃
高度な銀製造技術は、メキシコのオアハカ地域に伝えられたと言われています。
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10世紀頃
中国では銀製造技術が一般的になりました。
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12世紀頃
イギリスでは東ドイツのEasterlingにより銀貨の鋳造方法が指導され、その時の銀含有率が92.5%だったといいます。 それ以来、この品位をスターリングと呼ぶようになり、1300年代にはイギリスの法定品位になりました。 1920年までイギリスの銀貨はこの品位で製造されていました。それにちなんでスターリングシルバーと名づけられました。
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1492年
ボリビア(Boliviaペルー)のポトシ(Potosi)地区(世界遺産)で※2アマルガム法(amalgamation process)が開発され生産効率が向上して生産量も増加しました。

※2アマルガム法(amalgamation process)
金や銀を含む鉱石から水銀を利用して金や銀を取り出す製錬法。 金や銀は水銀に溶ける性質があり、水銀に金や銀が溶け込んだものをアマルガム (amalgam)といい、そのアマルガムを加熱し水銀を蒸発させると沸点の高い金は後に残ります。 鉱石を粉砕し、金や銀のを含んだ粒子と岩石を分離し、水銀を加えアマルガムを作り、不純物を濾過、洗浄した後、水銀を加熱蒸発させて除去すると後に金や銀が残ります。 水銀は密閉した容器内で蒸発させ、蒸発した水銀は再利用されます。

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16世紀頃
スペイン、パナマ、アンデス地方のコスタリカ人インディアンズは、銀細工師の技術が非常に高い芸術性を持ったものになってきました。
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16世紀中頃
新大陸に侵入した征服者達が鉄砲の弾丸用に鉛を現地調達する必要があった為と考えられていますが、メキシコのサカテカス銀山(世界遺産)を発見し、この鉱山の鉛には銀が多量に含まれていて、鉛の鉱山は銀の鉱山としての開発されることとなりました。 1700年代になると1200年代の生産量の10倍に達するようになり、さらに銀の生産量の大部分が南米で生産されるようになります。 ボリビア、ペルーおよびメキシコは、1500年から1800年の間で世界の銀のほぼ85パーセントを産出するようになりました。 この銀の生産量の増加は、銀価格の低下をまねき、銀貨の価値が低下したことから、当時の多くの国が採用していた通貨制度である銀本位制が揺らぐことになりました。
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17世紀
ニューヨーク(セネカ族、イロコイ族、カユーガ族など)のアメリカインディアンの種族は、ヨーロッパの銀貨を宝飾品に変え始めました。 それらは叩き出し、浮き彫り、焼きなまし、金銀線細工などの現在の銀細工技術の始まりでした。
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18世紀
中国での銀の使用が広範囲に広がりました。
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18世紀中頃
世界中のブルジョア階級がシルバーを好んで用いるようになり、それが社会的地位のシンボルとなりました。 そのため銀器の加工技術が飛躍的に進歩し、品質・デザインともにハイレベルなものとなりました。
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19世紀
銀の宝飾品は採掘精錬技術の進歩のために、より手頃で身近になりました。また電気メッキが発明されたのもこの頃です。 19世紀は工業化が進み、テイストも時代とともに変化しました。
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1850年
米国のネバダ州でコムストック(Comstok)鉱脈が発見され、1870年代になると生産量は更に数倍に増加しました。
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1851年
ニューヨークのティファニーが銀製品製造を開始。アメリカ企業としては初めてスターリングシルバー基準を適用しました。
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2010年
国別の生産量は、メキシコ(3,999トン)、ペルー(3,612トン)、中国(3,085トン)、オーストラリア(1,864トン)、チリ(1,276トン)の順となっており、ボリビア、米国、ポーランド、ロシアなどがこれに続きます。
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このように、精錬技術の発達と鉱山の発見により供給量が増え、様々な回収システムが整備されたことから、金よりも安価になっています。 主に工業用に使用されるほか、宝飾材料や貨幣用にも使用されています。